前回のブログでは、
自分の人生と、隣の人の人生が全く一緒になることは絶対にありえないので、結局は一人一人マイノリティーな存在であるということにまず気づいて頂きたい
ということを書いて、終わりました。さらにもう少し書かせて頂きます。
現代人の多くが「人間関係の悩み」を抱えています。これは現代でなくても、古来から同じです。皆様も人生を振り返ってみて、一度も人間関係でストレスを感じたことがない方はほとんどいないと思います。逆に本人は何も感じていなくても、相手にストレスを感じさせている場合も多くありますので、人とどのように付き合っていくかということは、万人共通の課題であると私は感じます。
人が二人以上集まると、価値観や考え方の違いがどうしても出てきます。つまりものさしがその人それぞれで違うということです。
そしてほとんどの人は自分主体で生きていますから、自分の「ものさし」を持っており、相手を自分の「ものさし」に合わせようとします。そしてその差が開いてくると、しんどくなったり、指摘したくなったり、喧嘩したりと段々両者の関係の継続が難しくなってしまう。これが世の常だと思います。
友人や職場の人であれば、争ってもそれっきりで二度と遭わないということもできますが、親子や夫婦、家族はそういうわけにはいきません。
一人一人がマイノリティーなわけですから、各々自分のものさしをもっており、それぞれが見たいように世界を見ているという前提でいた方が良いということです。
自分にとって良いと思っていることも、相手にとっては窮屈だと感じることもありますし、自分は当たり前のようにやってきたことも、相手にとっては難しい要求に感じることもあるということです。
じゃあ、みんな好き勝手に生きたら良いのですか!?と仰られる方も出てくるかと思いますので補足しますが、決してそういうわけではありません。やはり、物事には全てバランスが働きますから、あまり外れたことをすれば必ず、その報いがきます。例えば、好き放題して社会のルールに従わなければ、法律で罰せられることもあるでしょうし、また逆に自分の正しさを基準に色々な物事を見て人をジャッジしていたら、相手から反発を受けるでしょう。また人間は簡単に変わるわけがないですから、その苦しみやストレスで体調を崩してしまうということもあるでしょう。
こんなに自分は一生懸命やっているのになぜ嫌なことばかり起こるんだとか、もしかして罰が当たっているのではないかと仰られる方もいますが、何も苦しめようとして起こっているわけではなくて、考え方や思い方が偏っていますよというサインなのです。
身体も全体のバランスを欠くと、痛みが出てくるのと同じです。
自分の物差しを正しいとして、そこに他人を合わせようとすると必ず無理が出てきますから、できるだけ私たちはそのものさしを外して、フラットに物事を見る訓練というのを一生かけてしていくのだと思います。自分にとって良くても相手にとってはそうではないと少し思いを変えるだけで、最悪な争いは防げると私は信じています。
話をマジョリティーとマイノリティーに戻します。私達は「自分らしく生きたい」と思い、いざ何か始めようとすると、人と違うことをしても大丈夫なんだろか、人から何かおかしく思われはしないだろうかと、突然不安や孤独に陥ることが多いです。
これも当然で、今迄の環境や習慣が変わるわけですから、未来に対して様々なイマジネーションが働き恐怖や不安を感じるのは当然です。これを「防衛反応」と言います。
ジェットコースターのような変化が楽しい!と声高々に言う人がいますが、実は不安を抱えているが敢えてそう言って自分を鼓舞している場合も多いです。
福徳宮や財帛宮を見ればその人の本心がよく分かり、人に見せる顔というのは命宮や遷移宮を見ると分かります。人それぞれ恐怖の出方や、人に見せる見せないもタイプがあるということですね。
しかし人間は大なり小なりある程度の恐怖や不安を察知ができるからこそ、ここまで命がつながってきました。恐怖や不安を察知できないと、危険なところにまっしぐらに進んでも全然平気になりますから、死んでしまう確率も大きくなります。もしそうならばとっくの昔に人間は絶滅しているはずです。
ただ、不安や孤独を感じても無理にテンションを挙げたり取り乱したりせずに、するべきことを淡々としながら生きている人も中にはいます。経験や訓練の賜物だと思いますすが、自分もこうありたいなと常に思います。本当に強い人の姿でもあり、天から愛される人だと言えるからです。
各自のものさしを少しずつ外す訓練をし、そしてどういうことが起こっても腹を括って自分の人生に責任を持てる。そのような強さのある人が増えると、世の中の人間関係も丸く収まっていくのではないでしょうか。
皆様にとって鑑定や講座がそのように生きていける一つのきっかけになればと思います。