授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

鑑定の活用の仕方①

 

鑑定を受けて頂いた方、もしくは今後受けて頂く方へ、また紫微斗数の勉強をされる方が日頃どのように活用して頂くと良いかについて書きたいと思います。

よく、自分は前生どんな生活していたのか、または前生誰だったか、またこれから何が自分に起こってくるのかということを細かく知りたがる方がみえます。前生は一回きりではなく、何度もありますし、私達は皆膨大な業(良い悪い双方の行いの集積を業と言います)を積んでいますから、全部辿ることは正直不可能です。

私は紫微斗数は当てることを目的としたり、また何か特別な能力を使って行うものではなく、あくまでも「学問」だと考えています。ましてや何か怪しいものでも決してございません。「学問」とは「人間はいかに生きるべきなのかについて学び問うこと」ですから、言語や数学を学んだり、また料理や裁縫を獲得することと同じで、この世で生きていくのであれば、皆知っておくべきことです。そして親が子どもにご飯の作り方を教えるのと同じで、どのように生きるべきなのかということは、子どもや孫にも伝えていかないといけないものだと私は考えています。

以上のような考えを持っているため、鑑定の内容を細かく深掘りしたり、または命盤と自分の人生を照らし合わして、当たっている当たっていないという部分だけを掘り下げることは、特に講座を受けられている方に関してはしないようにと強く注意させて頂いています。また私が鑑定をする場合もお客様とは一期一会ですから、できるだけ話がそういう方向にいかないような工夫をしています。

もちろん、学ばれる際には細かいロジックを習得することは大切ですので、それを一生懸命覚えることは当然しないといけませんが、勉強する中で当たる当たらないの視点に偏り過ぎるとそれが「執着」や「迷い」になるため、どんどん苦しくなります。それはまた自身が積んでいく余分な(あまり良くない)業となり、どこかで刈り取らないといけないのが「因果の法則」ですから、縁を頂戴した方にはできるだけそうなってもらわないようにしたいというのが常日頃の私の願いです。私の講座で全うに、紫微斗数を習得された方がどのような感想をお持ちなのか知って頂きたいので、本ブログでも紹介させて頂いています。

有名な『養生訓』に「医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以志とすべし」という言葉がありますが、【良医】は病気を治すことだけを目的に治療していません。つまり病気を治す・治さないではなく、「人はいかに生きるべきか」つまりは仁の涵養を、医術を通して行っている人が本当の【良医】です。私は、紫微斗数の鑑定も同じだと考えています。当てる当てないではなく、「人はいかに生きるべきか」を知ってもらうための一つの手段でなければならないということです。

 

紫微斗数を学ばれたり、鑑定を受けて頂いた方の中で、非常にセンスの良いかたが一定数みえるのですが、その方々にはある大きな特徴があります。この特徴があるから良いとか、特徴がないから悪いわけではなく、このセンスを各々が磨き、そしてそれを保つ努力をしながら生きていくことが肉体ある人間の課題でもあります。元々そのようなセンスを持っていても、何かがきっかけとなり、そのセンスが発揮しにくくなる場合もあるからです。(ショックなことに遭遇した時や喜びを感じた時など、大きく感情が揺さぶられるときがそうです。)

それは何かというと、ミクロの視点とマクロの視点を上手に使い分けるというセンスです。古来中国では「中庸の道」と言い、日本では「アメナルミチ・アメノミチ」とも言いました。何事もし過ぎないように、ちょうど良いバランスを保ちながら生きることを指します。それは、宇宙自然の法則に沿う生き方でもあるということを古来の人は知っていたのです。

世の中にはたくさんの仕事がありますが、例えば、治療家、教育家、料理家、芸術家なども同じことがいえるます。≪ミクロの視点≫というのは細かい基礎を学んでいく際の視点のことです。紫微斗数で言えば星や命盤の意味や、ロジックを暗記したり、様々な命盤を検証していくことがそれにあたります。

次に、実際学んだロジックを使っていくときや、鑑定するときは人を見ないといけませんし、場合によってはその周りの人間関係や時代背景も加味する必要もあるでしょう。また、その人が20歳の時に来られるのか50歳の時に来られるのか、結婚する前にみえるのか、すでに結婚もして子どもも生まれた後で鑑定に来られるのかなど、相手の状況で命盤の読み方やこちらの伝えることも変えるべきです。相手の状況に応じようと思うと、命盤の細かいところやロジックは一度横において、大きな枠組で話を聴く力が求められます。これが≪マクロの視点≫です。

大枠で人物像を捉えた上で、具体的に落としていく。逆に具体的な事象から、大枠で伝えていくこともあるでしょう。「抽象」と「具体」を行き来すると言ってもよいと思いますが、要は双方の視点の使い方が上手な方は何事も理解や習得が早いように思います。また誰しも偏っていて当然ですし、偏りがその時々によって違うので、客観的に自分を見てそれに気づき、謙虚になって偏りを取ることに尽力して頂いた方は、グンと力が伸びます。

つまりは、生き方においても同じだということです。同じことが起こってきても気持ちを切りかえるのが早くなったり、起こってきた出来事に対して、良い悪いと白黒つけることもしなくなるのが人間の一番自然な形でもあります。もう少し続きます。