授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

会話も「道」

鑑定業はもちろんですが、世の中には人の話を聴くことからスタートする仕事がたくさんあります。教育業、福祉職、営業職、コンサル業、医療関係者等々。。。また仕事に限らず、普段の夫婦や恋人、親子、友人との会話も全て基本は同じです。

「え?コミュニケーションって話すことから始めるんじゃないんですか」と思われる方も多いと思いますが、実はコミュニケーションを円滑にするためには、話すことよりまず相手の話を聴くことに努めたほうが良いと私は考えています。

 

「聴く」という行為は非常に難しいです。皆様、例えば「3分」、日常会話で家族や友人の話を一切遮らずに聴くことができますか?また逆に聴いてもらったことはありますでしょうか?
相談しようと思って口を開いたけど、逆に相手がベラベラ話だしてきて結局言いたいことが言えなかったとか、聴いてもらえる感じがせず言葉が出なくなったという経験をしたことはないでしょうか?

良い悪いではなく、大体の人間は自分本位で生きていますし、感情を持っていますから、真っ直ぐ人の話を聴くことがどうしても難しい生き物なのです。口が一つで、耳が二つあるのは、話すことより聴くことの方が難しいためにそう人間も造られたのだと思います。

相手が話す間に、自分の話す内容を考えていたり、またはよそ事を考えていたり、否定の気持ちで聞いてみたり、または手元にある携帯をいじってみたりとよそ事をしていると自分は聴いているようで案外聴けてないものです。

昔テレビを見ていたら、非常に聴き上手で、返答の上手な女優さんがトーク番組に出ており、その様子にふと目を留めたことがあります。相手とのやり取りがスムーズで、人の心を掴むのも上手く、見ているだけで気分が良くなる番組だったのです。

その女優さんがトークの中で、「自分が話しているときは相手に時計すら見て欲しくないんです」と一言、おっしゃられました。まだスマホや携帯も日常的に使うようになる前の話でしたから、時計を例に出されたのでしょう。そこまで相手の行動の自由を奪うのは少し極端かもしれませんが、しかし、こういう感性をお持ちだからこの人は聴き上手なのだと感じました。聴いてもらえない寂しさや虚しさが理解できるからこそ、自身もきちんと相手の話を真剣に真っ直ぐ聴いて、返答するように心を傾けることができるのだと私は感じ、話を聴く態度を学ぶ点で、非常に参考になりました。

 

私は元々国語を教えてきた人間なのですが、ある一つの風潮に非常に飽き飽きしておりました。それは教育界全体が「コミュニケーション能力の育成」と謳い、「自己主張することが良いことだ。」とあらゆる場面で発表や、ディスカッション、ディベートを重んずるようになってしまったからです。

もちろん、正しく自己主張する力というのは生きる力ですから非常に大切ですし、それを否定するつもりはありません。しかし、実際の生活においては相手がいることですから、相手の「状況」に応じて返答し、またそこから会話が続いていくのが「本当のコミュニケーション」だと私は考えています。となると、「話す」訓練をするのであればそれ以上に「聴く」練習もしないと、声の大きい者が一方的に発信し、声の小さい者はますます黙ってしまう状況を教育によって大量生産してしまうのではないかと危惧したのです。

演説やスピーチであれば自身が話したいことを話せばよいですし、俳優さんや声優さんなど話すことを仕事にしている方であれば、発信能力を伸ばしていく訓練も大切です。

しかし、私達普段の日常会話となると自分のことばかり話しされたり、こちらが話しているのに全然違う話をもってこられたり、聴いてない態度をとられると「流れ」が遮られますから、そうなるとコミュニケーションが成立しなくなる。これが物事の道理です。

「文脈」と言う言葉がありますが、会話も人の気持ちも、双方の間のやり取りの中で続いていくもので「流れるがごとく」が自然な形です。

水の流れに乗って舟が進むのと同じで、気持ちや言葉も流れに乗って出てくるものだと私は思うからです。遮るものが出てきたら舟が進みません。会話や人の心も遮られたら前に進まないのです。実際に、古来日本では以上のことを「ヤマトコトバのミチ」と表現していました。会話も「道」=道理や法則に基づいて行われるものだということですね。

 

よく鑑定やカウンセリングのコツを聞かれたり、相手(例えば子ども、夫婦、親など)が本音を話してくれないと人間関係の悩みを訴えてこられる方も多いので、何か参考になればと思いました。