授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

和歌の話① ~古今伝授の里やまと~


師が『古今和歌集』の解釈や読み方を弟子に秘伝することを「古今伝授」と言います。岐阜県郡上市大和町は、まだ日本の原風景が残っている山里で、1221年の承久の乱の後、東氏(とうし)がこの土地を長く治めていました。東氏は初代胤行(たねゆき)を初め、代々和歌に優れていましたが、中でも9代目の常縁(つねより)が非常に名高い歌人であり、また「古今集」の研究者でもありました。連歌の師である宗祇に古今集の奥義を伝授したことでも知られ、「古今伝授の祖」と言われています。

宗祇の後には三条西実隆(さねたか)へ、続いて公条(きんえだ)、実枝(さねき)、その次に公国(きんくに)。この公国がまだ幼少だったため一端、かの細川幽斎へと引き継がれ、公国が大人になった時点で三条西家にそのまま「返し伝授」をすることになります。

数年前に私はこの「古今伝授の里」の存在を知り、先日実際に足を踏み入れました。フィールドミュージアムでは実際に、古今伝授に関わる資料や、現物の展示がされているのですが、いづれも圧巻の一言でした。
因みに古今和歌集とは、平安時代前期の勅撰和歌集です。

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。この歌、天地の開け始まりける時より出で来にけり。~略~


以上は紀貫之が書いた「仮名序」の冒頭ですが中学校や高校の教科書にも出てくるので、ご存じの方も多いと思います。全20巻の1100首の歌数が収録されています。
貫之は冒頭で「和歌というのは、人の心を種(元)とし、様々な言葉になったものだ。」と述べています。心というのは、嬉しい・楽しい・悲しいの感情だけではなく、私は天地自然の法則を感知するセンサーのようなものだと考えています。宇宙自然というのは、完全調和、また「私」を捨てる利他の精神ですから「我」が入ってしまうと、和歌は詠めないということです。

以上のように和歌は非常に美しく純粋な心から発したものであるため、力を入れなくても天地を動かし、喧嘩した男女の仲まで和らげることができるのだ。
私は貫之の文章をそのように解釈しています。

「古今集」を伝授することを「古今伝授」と言うのですが、もちろん現代のような印刷技術や録音技術もないですから、師が自身の見込んだ弟子や子どもに解釈を講義・口伝し、弟子はそれを書写していきます。自身が伝え聞くものを漏らさず伝授したい師の思いと、それらを一言も聞き漏らすまいという弟子の思い、両者の間に流れる緊迫した空気が現代の私たちまでにも伝わるような気がしました。だからこそ、数百年も伝わってきたのだと。

そのように伝えられてきた「古今伝授」を前にして、天地開けし時から存在していた日本文化の主軸≪和歌≫の重要性を改めて再確認する1日となりました。