授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

和歌の話④ ~「平家物語」3~


前回の続きです。

①平家一門の敗北ももう決まっているのだから、無駄な殺生をこれ以上すると罪を作ることになるからやめるようにと新中納言が能登殿を諫める場面。

②そんな名前のない者ばかりを斬って、無駄な罪を作るな。義経(敵のトップ)を討ち取れ!と新中納言が能登殿を鼓舞する場面。

私が習ったときの解釈は①でした。

 もう敗北が決まり、自分たちの命も果てるようといているときに、これ以上罪は作らないでおこうと声をかけた情けが私の胸を打ちました。既に負けが決まっている今、最期ぐらいは「人としての道を守ろう」という想いも読み取れます。それを聞いた能登殿は、その事実を受け入れるべきだと分かっているが、しかし自身の武士としてのプライドや大義名分もあるために、半狂乱になって義経を追い掛けたのではないかというのが当時習った内容でした。

 ②の解釈のように、トップの義経の首を取れば今からでも勝てるため、まだ諦めるな!と読みとることもできますが、安徳天皇も入水された後の話なので、それもどうかなというのが私の思いです。

 平家と源氏の戦いを書いた書物は他にもあって、書いた人の立場によってそれぞれ表現や中身が違います。何が真実なのかはその場にいた者や本人にしか分かりませんし、現代の文化や私たちの死生観と当時の武士のそれらとは全く違うため、様々な解釈が出てくるのは致し方ないと思います。論争して正誤を決めるよりも、それらを読んだ我々が「自己」と対話することで、何を学び、得ていくのかという過程の方が大切だと思いますし、歴史や文学を学ぶ上での基本的な姿勢だと私は考えています。

ちなみに、安徳天皇が入水される場面を一部取り上げます。

幼い安徳天皇が祖母の二井殿(清盛の妻、時子)に「私を言ったいどこに連れていこうとするのか」と問いかけます。

二井殿は「先世の十善戒行の御力によって、今万乗の主とは生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運既に尽きさせ給ひ候ひぬ。~略~あの波の下にこそ、極楽浄土とてめでたき都の候。それへ具し参らせ候ふぞ」

(訳)↓

「前世の善い行いによって、今世、あなた様は帝にお生まれになりましたが、悪縁のために御運がもはやお尽きになりました。~略~あの波の下に、極楽浄土と言って素晴らしい都がございます。そこへお連れいたしますぞ。」

二井殿の上の台詞から、当時の人々は当たり前のように、今世、来世という概念が根付いていたことが証明できます。つまり自身の行いは全て自身に返るということを知っていたということです。だから武士だからと言って好き勝手人を斬ってよいわけではなく、大義名分を無視したり、無闇に人を斬るのは来世に繰り越して果たさないといけないという認識があったと想像できます。そういう認識で話している場面だと考えると①の解釈が自然だと私は考えています。

 この後能登殿は、敵の安芸太郎・二郎兄弟を両脇に抱え込んだまま「わが冥途の旅の供をせよ」と叫んで海に飛び込んで自害します。御年26歳。

 新中納言は「見るべきほどの事をば見つ。今はただ自害をせん。(「平家一門の最期など、見届けねばならぬことは全て見届けた。もはやこれまで)」と乳母子の平内左衛門家長を呼んで、鎧二領着せ合い、手を組んでともに海に飛び込びます。御年33歳。

 海上には、赤旗・赤符ども、切り捨てかなぐり捨てたりければ、龍田川の紅葉を、嵐の吹き散らしたるに異ならず。汀(みぎわ)に寄する白波は、薄紅にぞなりにける。主もなき空しき船どもは、潮に引かれ風に随ひて、いづちを指すともなく、ゆられ行くこそ悲しけれ。

(訳)↓

敗北した平氏たちの赤旗や赤符(しるし)が、無残に切り捨てられて、まるで龍田川の紅葉葉を嵐が吹き散らしたようであった。波打ちぎわに寄せる白波も、薄紅色に染まってみえた。主をなくした船たちが風のままに引かれ、風に随って目的もなく揺られていくのは、悲しいことであった。

 紅葉と言えば龍田川です。二つの言葉を入れて読まれた和歌は数ありますが、以下の和歌が教科書にも出てきますので一番有名になりますでしょうか。

 ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず龍田川
      唐紅(からくれない)に水くくるとは   ~古今和歌集~

 平家の敗北の場面を、美しい自然の情景を借りて表現するところがさらに、悲しさを誘います。人が死のうが、戦いに勝とうが負けようが、自然界は何も変わらず美しく、穏やかなままだという筆者のメッセージを感じます。