授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

和歌の話⑤ ~「平家物語」4~


もう一つ、平家物語の中から和歌に纏わる話を書きます。
おそらく多くの方が、古典の授業は

①睡眠時間だった
②本文と黒板はノートに写していたが、一体何が何だかわからない
③理解はできないが、とりあえずは授業を聞いていた

という場合が多いと思います。このように書いている私はほとんど①した。まだノートを写すぐらいならましなものをそんなことも諦めて、殆ど夢うつつの時間で意識がなかったように思います。
大人になり、古典を学び教える立場になった時に、古典とは歴史であり、先祖が生きてきた道なんだということに気づき、高校の時にもっと学んでおけばよかったと後悔した
記憶があります。

以下の箇所は高校の古文の教科書に載っていることが多いため、記憶にある方もいるかもしれません。実際に高校で古文を教えていた時に、私自身は非常に感動した場面なのですが、生徒からは素朴な疑問が出てきたことがありました。

・なぜ、別れの時に突然漢詩を謡いだすのか
・命を懸けてまで師匠に和歌を渡しにいく気持ちがよく分からない
・一人に対して名前が複数使われるため、混乱して内容が入っていかない

非常に一生懸命学んでくれる生徒たちでしたから、正直に質問してくれたのは私も分かりました。現代人の感覚と、『平家物語』の時代(平安末期)ではもちろん、文化も考え方も違います。また武士の場合は死と隣り合わせであるため、現代人の死生観とは全く違いますから、以上のような質問が出るのは無理もないわけです。

貴族や武士と言えばまずは和歌を詠むことが必須であり、人生の節目(恋愛・結婚、別れ、人生の最期)の時に歌を詠み、また日常生活の悲喜こもごもを和歌で表現することは、当然のことでした。

また、勅撰和歌集(天皇の命令で作られる和歌集)に自分の歌が選ばれるなど非常に名誉なことだったわけですから、命を懸けてでも歌を渡したいという気持ちが前提に理解できていないと感動や深い学びに繋がらないわけです。ここが理解できると、多分古典ももう少し読みやすくなるのではないかと思います。

さて、以下本文を書きます。

薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍五騎、 童一人、わが身共に七騎取って返し、五条三位俊成卿の宿所におはして見給へば、門戸を閉ぢて開かず。

「忠度」 と名のり給へば、
「落人帰りきたり」とて、その内さわぎあへり。

薩摩守、馬よりおり、みづから高らかに宣ひけるは、
「別の子細候はず。三位殿に申すべき事あって、忠度が帰り参って候ふ。 門を開かれずとも、この際まで立寄らせ給へ。」と宣ヘば、俊成卿、

「さる事あるらん。其人ならば苦しかるまじ。いれ申せ」
とて、門をあけて対面あり。事の体何となうあはれなり。

薩摩守宣ひけるは
「年ごろ申し承って後、おろかならぬ御事に思ひ参らせ候へども、この二三年は京都のさわぎ、国々の乱れ、併しながら当家の身の上の事に候ふ間、疎略を存ぜずといへども、常に参り寄ることも候はず。君すでに都を出でさせ給ひぬ。一門の運命はや尽き候ひぬ。撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に一首なりとも、御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱出できて、其沙汰なく候条、ただ一身の歎きと存ずる候ふ。世しづまり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらむ。これに候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩をこうぶって、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ」

とて、日々詠みおかれたる歌共のなかに、秀歌とおぼしきを百余首、書きあつめられたる巻き物を、今はとてうっ立たれける時、是を取ってもたれたりしが、鎧のひきあはせより取りいでて、俊成卿に奉る。

三位是を開けて見て、

「かかる忘れ形見を給はりおき候ひぬる上は、ゆめゆめ疎略を存ずまじう候。御疑あるべからず。さても唯今の御わたりこそ、情けもすぐれて深う、哀れもことに思ひ知らされて、感涙おさへがたう候へ」

とのたまへば、薩摩守よろこんで、

「今は西海の波の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。浮世に思ひおくこと候はず。さらばいとま申して」

とて、馬にうち乗り、甲の緒をしめ、西をさいてぞあゆませ給ふ。三位、うしろを遥かに見送って立たれたれば、忠度の声とおぼしくて、

「前途程遠し、思ひを鴈山の夕の雲に馳す」と、たからかに口ずさみ給へば、
俊成卿いとど名残惜しうおぼえて、涙をおさへてぞ入り給ふ。

其後世静まって、『千載集』を撰ぜられけるに、忠度のありし有様、言ひおきし言の葉、今さら思ひ出でて哀れなりければ、彼巻物のうちに、さりぬべき歌いくらもありけれども、勅勘の人なれば、名字をばあらはされず、「故郷の花」といふ題にて、よまれたりける歌一首ぞ、「読人知らず」と入れられける。

さざなみや志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな

その身、朝敵となりにし上は、子細に及ばずといひながら、うらめしかりしことどもなり。