授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

ネクラ(根暗)とネアカ(根明)


ポジティブこそ良いことだとされやすいですが、人間は皆ネガティブな部分を持って生まれてきます。

私が鑑定している欽天四化紫微斗数では生年ABCDという生年四化を使いますが、どなた様の命盤にもこの4つの星が12宮のどこかに入っています。つまり、この4つの星(良し悪しきの意味両方ある)をどう使って、どのように人生を送っていくかが人生の要諦となるのです。

その生年D(化忌)は、前生の債・ネガティブ・執着・拘り・欠点などという意味があります。みんなこの星を持って生まれてきているということは、誰でもネガティブな一面を必ず持っていうということです。逆に生年A(化禄)は、ポジティブ・楽観的という意味があるので、この部分では楽しく、ポジティブに取り組むことができます。

では、D(ネガティブ)とA(ポジティブ)を比べるとどちらの威力が強いでしょうか。

Dの威力の方が圧倒的に強いです。これが原理原則です。前生の負債がある部分ですから、必ずしなければならない、だから強いのです。例えば、生年Dが子女宮に入っていたら、前生子女宮のこと(例えば子ども、生徒、教学)に債を残して自分は死んだと見ます。また生年Dが福徳宮に入っていたら、前生福徳宮に関すること(例えば心の健康、先祖のこと)に債を残して自分は死んだわけです。ちなみに私は子女宮に生年Dを持っているので、今の仕事をしているのだと思います。

やり残していることは、中途半端にほったらかしにできないので、重たい荷物を背負わせ忘れないようにさせるわけです。だからネガティブ、執着という意味があるのだと私は解釈しています。

以上により基本的に人間と言うのは、根暗の要素が誰にでも多分にあります。特に日本人は理由があって、その要素が非常に強い傾向にあります。ですから、無理にポジティブ思考に持っていっても、疲弊する人が多いように思います。

特に学校現場では、ポジティブこそ良いことだ!元気があって主体的であることこそ良いことだ!という風潮に全員をガサーッと持っていってしまうと、ある一定数の子ども、先生たちも当然ついていけなくなります。

では、ネクラ・ネガティブが良いのか?と言うと決してそういうわけではありません。また、ずっと悩んで動けないでいると、自分の命を生かすことはできません。

必ず向き合わないといけないネクラの部分、ネガティブな部分を
どう生かしていくのかということが重要なのです。


例えば、芸術、学問、発明、研究などはDの要素を非常に必要とします。グッとのめり込める人ほど、素晴らしい成果を残します。

一つ例を出すと、アスペルガーと言われる方で特段にすごい成果を残す場合がありますが、これは生年Dを上手に使っているケースだと思います。
私も教育現場でアスペルガーの子どもを教えたことがありますが、凡人では到底無理なのめり込み方、力の発揮の仕方をします。

ただ、理解の仕方、取り組む順序や資料の整理の仕方も独特ですから、バランスや速度、締め切りなど細かいルールやノルマを課してしまうと一気にその子どもの良い部分が崩れ落ちます。

上の例に関わらず、人間は皆、自身の生年Dを上手に発揮することができないと、途端がバランスを崩し人生をこじらせることになります。
ですから私は生年D、(つまりネガティブ・拘り・しにくさ)こそ宝だと主張したいのです。
このようなことがもっと教育の世界で語られることが理想だと常々考えています。(了)

春分の日


今年は、非常に天候が荒れた春分の日でした。
朝から暴風が吹き荒れ、夜になると猛吹雪。
風で車のハンドルがとられないよう帰宅したのも季節外れの良い思い出になりそうです。

しばらく投稿が空いておりましたがYOUTUBEの開設のための準備や、撮影の諸々に取り組んでおりました。

「あめなるみち」というチャンネル名でこの度動画を始めます。
ご登録、ご視聴頂ければ幸いです。

「あめなるみち」を立てて生きてきた原始日本人の姿や、本来の人間の生き方、日本の歴史、『ホツマツタヱ』、紫微斗数、人生におけるあらゆる悩み(人間関係、進路、適職、使命)などなど、あらゆる方面からお話させて頂く予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。

youtu.be

紫微斗数講座フォロー会


2月4日(日)に津にて紫微斗数講座のフォロー会が開催されました。zoomの参加を含めますと10名以上の方に参加して頂き、ありがとうございました。
普段、紫微斗数通信講座を受講して下さっている方が集まり、復習や命盤の読み込みをして頂きました。

紫微斗数は「命術」ですので、一つの道を立てることに繋がります。期限がある受験勉強や資格勉強など少し趣が違い、基本的に終わりはありません。また、数日で習得できるものではなく、何回も何回も反復して習得し、自分の中に落とし込んでいくという作業が必要です。要は細々とでも取り組む姿勢が何よりも必要だということです。

華道・茶道・武道・医道など道と名の付くものはたくさんありますし、また何かの術(例えば料理・芸術・裁縫等…)と取り組み方の基本姿勢はどれも同じだと私は考えています。ですから本当の意味で紫微斗数が習得できる方は、他の術もきちんと習得できるはずだと思います。

長く細く続く道を歩くように淡々と粘り強く、あきらめず腹に落としこんだものは、一生ものです。忘れようと思っても忘れられないぐらいになれば、それは自身の財産になると思いますし、正しく学べば世界の見え方が全く変わってきます

一番勿体ないのは、せっかく身に触れているのに適当に取り組んだり、深く学ばないうちに自分流で解釈したり、また表面的なところだけさらって良い悪いを判断をすることです。要は中途半端が一番勿体ない。

当然好き嫌い、合う合わない、得手不得手はあると思いますが、道や術とつくものは、古来から天地自然の仕組みをよく理解した人間や、天啓を受け取れる人間が構築してきたものです。それが長く続くと文化ですから、良し悪しを個人が勝手に判断するのはナンセンスであると感じます。とにかく自分の感情は横に置いて、何回も動画を視聴して腹に落とし込んで頂ければと思います。

特に、紫微斗数は命術であり人間学です。人間として生まれてきたからには、知っておいて損はない学問だと思いますので、どうぞ縁を頂戴した皆様、細く長くお付き合い頂ければ幸いです。

次回の紫微斗数講座フォロー会は4月14日(日)です。
参加ご希望の方は↓↓まで。

yamaki10.hatenablog.com



仕切り直し


前回のブログからあっという間に2週間経過し、気づいたら1月ももう終わりということに驚いています。

1月の中旬にコロナ陽性になり、結構症状が重たかったので1週間はほとんど自宅で静養し、そこから数日も極力外に出ないようにしていました。10日間で色々気づいたことがあったので備忘録のために書いておこうと思います。

(経過)

・ウイルスが身体に入って動き出した瞬間がはっきりと分かった。喉に何か虫が止まった感覚があり、異物が入ったのがおそらくその時なのだと思う。

・ウイルスが入った2日後、熱が上がってくるときに、臍下丹田がものすごく熱くなり、スーパーサイヤ人にでもなってしまうんじゃないかというエネルギーを身体の中に感じる。

・その後繰り返す嘔吐、発熱、関節痛、頭痛。特に関節痛は痛みの場所が時間とともに移動するのが分かり、最初は下半身、そして上半身と約2日かけて痛みが身体を移動する。

・愛読書である野口晴哉の『風邪の効用』『整体入門』を改めて思い出す。人間にとって風邪を引くことは大いなる恩恵なのだということを自分の中に叩き込み、本に書いてある通りに施術を施すと熱がサッと引いていった。

・ウイルスが出て行った瞬間がはっきりと分かった。入ってきたときは喉からだったが、出ていくときは背中のあたりが突然ふっと軽くなり(ツボで言うと、おそらくチリケの灸点=身柱かと思います)、体内を掃除して用事がなくなったので出て行ったのだと悟る。

(困ったこと)

・スマホの画面を見るのがとにかくしんどい。電磁波のせいか分からないが、スマホの画面を見ると、目が耐えられなかった。

・頭が回らない。普段ならさっさとインプット、アウトプットできるぐらいのことでもすぐに抜けてしまう。

・何か仕事のことや、講義の内容を考えていても、思考が持続せず構築することができない。(自分の場合、これができないと仕事にならないので、もしこんな状態が続くのであれば致命傷だなと感じた。)

・嗅覚がない。発症後数日経過してから嗅覚と味覚が無くなり、生きている実感がいつもと少し違う。食べたり飲んだりする以外にも香りを感じることで、確認していることがたくさんあるんだなと思い、地に足がついていない感じがする。


(良かったこと)

・強制的に休養できたこと。社会人になってここまで寝たのはおそらくこれが初めてではないかというぐらいとにかく寝た。寝ようと思ってなくても、気づいたら寝ているので、きっと身体が望んでいたことなんだろうと思うようにし、一度全て諦めようと思えた。もし中途半端に身体が動いたら、きっと抗って何かしていただろうから、ここまで寝る時間をくれたコロナには感謝の気持ちです。

「ある」のに「ない」という感覚を知ったこと。風邪で鼻が詰まり、嗅覚がなくなった経験はこれまでにもあったが、しかし今回の嗅覚のなさは特別で、本当に全く「ない」という状態だった。例えば、珈琲を飲んでも、緑茶を飲んでも、味噌汁を飲んでも熱いお湯を飲んでいるということが認識できるだけで差や個性が全く分からない
数日経過して味覚だけ先に戻ってきた後も、苦み、塩味、甘味などは分かるが、それから先が分からない。例えばメロンパンを食べてもロールケーキを食べてもチョコレートを食べても甘い食べ物を食べているという認識があるだけで、それぞれの味の個性が分からない。特にコーヒーを飲んだときに、苦いお湯を飲んでいる感覚しかせず、非常にまずく感じた。

これらの経験から分かったのは、そこには確かに存在しているのに(自分が感知できないだけで部屋の中はコーヒーの香りやメロンパンの香りがしているはず)、自分が感知する力や感性がなければ、それは「ない」に等しいということ。そしてこれは、味覚だけの話ではないんだろうなと。
例えば、自分に与えられている環境や能力であったり、友人・パートナー・家族の存在。または目には見えないもの、例えば昔の思い出や自分で得てきた知識や経験、自信など(紫微斗数の講座でも話していますが、要は「溜め」の部分)。そしてどんどんこれが高度になってくると、人智を超えた大いなる力、理、道、信仰、亡くなった人からの想いなどに次元が上昇していくのだと思いますが、ここまで来るともっと気づくことは難しい。ですからこの辺りは、学んで知る必要があるのだと思います。

これら全て「ある」のに「ない」と感じてしまったり、もしくはそれに気づく感性が自分に備わってなければ、目の前に、また自分の中に確かに存在していても「ない」のと同じなのだと改めて思いました。

「できない」「しない」「やりたくない」「わからない」と「ない」をつける人生をこれから自分は歩いていくのか。それとも「できる」「する」「やりたい」「わかる」と「ある」をつける人生をこれから自分は歩いていくのか。
人間として生まれてきたからには、当然後者であるのだろうし、それに気づき続けることが人間として生きる意味でもあり、人間として生きる尊厳ではないかと思います
なるほど改めてそのことに気づくために嗅覚がなくなったのだと考えたら、これも大きな一つの良かったことになると感じました。これが一番の収穫だったかもしれません。

大きな気づきを得たので、また今日から仕切り直して人生を歩いていこうと思います。(了)

あめなるみち


クリスマスが終わると途端にスーパーで流れるBGMはお正月用のものになり、それに急きたてられるかの如く、食べ物や飲み物を準備したり、大掃除をしたり、そんなことをしている間に元旦を迎え初詣に行くという、大方の日本人はそんな年末年始を過ごすことになるのではないでしょうか。

日本人は大らかで寛容な民族性の故、儒教・仏教・キリスト教、またその他諸々の教えを受け入れてきたと言われることが多いですが、私は少し違った考えを持っています。

もともと素晴らしい文化や歴史、教えがあったにも関わらず、それらの真実を隠匿してみたり、また真実を追求する人を変わり者扱いして迫害までし、ほとんど大多数の人は、その時々で何となくの空気や流行に流されて、日常のことで忙しくしているうちに、知らない間に色を変えられ混乱状態に陥っている。
私はそのように考えています。混乱状態であるということは、秩序や理が崩壊していると言っても過言ではありませんそんな状態で今、必死にもがき、いたづらに忙しくして真理を見ずに生きているのが人間なのです

昭和41年に松本善之助氏によって『ホツマツタヱ』が発見され、それに関わる多くの文章を氏は残しました。ホツマツタヱの内容に関することはもちろんのことですが、氏の唱えたいことはそれだけにはとどまらない、私はそう感じています。一体何を訴えたかったのかというと、『ホツマツタヱ』は、世界を救い、人類を救うものだということです。私もその意見に120%同意しております。そしてさらに私は、宇宙摂理の秩序の一部として人間も存在しているのだから、その秩序を保つために人間が絶対に知っておかないといけない真理が書かれてあるもの、それが『ホツマツタヱ』だと考えています。この根幹を受け取り、繋げていかないと、松本善之助氏の御霊は非常に残念がるのではないかとそう感じます。

遥か昔の日本では、以上書いたことを総括して「あめなるみち」と表現しました。それを明確に形にしたものが、ミクサノタカラ(三種の神器)の一つである「トノオシエ」であり、また『アメナルフミ』という書物です。

このようなことを書くと、小難しく感じアレルギーを起こしてしまう人もいるかもしれませんが、自分の感情は一度横に置いて学んで頂くと、難しいことは一つもないことに
気付いて頂けると思います。

『ホツマツタヱ』や「あめなるみち」を知るということは、私は人が生命維持をしていく上で、いや、自分の主体である魂を磨いて育てていく上で、絶対不可欠のものです。

せっかく人間の魂を持って生まれてきたのだから、私はその価値や意味を追求し、皆様に分かりやすい言葉であの手この手で今後も伝えていけたらと思います。

1年間、私の講座や書籍で学んで下さった方、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。


bookplt.com

bookplt.com