授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

先祖のこと③

前回のブログの続きです。

私の曾祖父は明治13年生まれで、明治の後半に故郷から東京に出てきて、最初は化粧品製造・販売の仕事を生業としていました。代々、家には秘伝の灸術が伝わっていたらしいのですが、曾祖父本人はお灸は大嫌いで、避けていたそうです。しかし、自身が病になったときに、あらゆる治療法で以てしても治らなかったのに、自分の母親に据えてもらったお灸ですっかり治ってしまったという経験から、人生を大きく方向転換し、自身で灸術を研究し始めます。

古来の直灸や家伝の灸術に加えて、先日ブログ で書いた「活鹽水」を灸法に応用し、「活鹽灸」という灸法を創始しました。これら一連の流れや縁も、自身の好き嫌いという次元や個人的な感情を超えた「命の運び」だと感じます。

現在、東京新橋駅前の土橋交差点にリクルートビルが建っていますが、戦前から戦後にかけてはそこに「日吉ビル」が建っており、曾祖父は疎開するまで、そのビルで灸院を構え、治療していました。戦後まもなく曾祖父は病気で亡くなり、また灸院を継ぐはずだった長男は戦死したため術は途絶えることになり、以上のことは長年、私も全く知らなかったのですが、ひょんなことから数年前に曾祖父の書いた文章が古書店から出てきたことで以上のことが明らかになりました。

以前、NHK連続ドラマ小説で「トト姉ちゃん」というドラマが放映されていましたが、ドラマのモデルとなる花森安治氏と大橋鎮子氏の両人が、戦後「暮らしの手帖社」を立ち上げたのは偶然にも曾祖父が疎開するまで灸院を構えていた「日吉ビル」でした。曾祖父の資料と、「暮らしの手帖」から日吉ビルの写真や住所を得ることができましたので、それを頼りに数年前にその場所に足を運びましたが、新橋駅から銀座八丁目の土橋交差点へ向かって歩いていく途中は、当時の光景とは全く違うはずなのに、えも言われぬ懐かしさを感じました。1974 年に日吉ビルは取り壊されて、高層ビルに代わってしまいましたが「確かに曾祖父はここに生きていた」という実感がしたからです。

先祖のこと①のブログで、カミというのは神社に祀られている神様などではなく、自身の先祖のことだと私は書きました。私の生まれるだいぶ前に曾祖父は亡くなっているため、実際に会ったことはないですが、私たちの命は、見えないところで必ず繋がっていると確信できるのは私も以上のような経験をしているからです。

先に亡くなった人は何かの形で、地上にいる者がしかるべき道にたどり着けるように、加勢してくれています。それは既に亡くなった親の場合でもあるでしょうし、遠い先祖の場合もあるでしょう。また先に旅立った配偶者や恋人、兄弟姉妹または子どもかもしれません。これらの加勢を受けて命ある私たちは、地上で生きることができる。これが命の仕組みです。以上のことを知ると、どれだけ自分が嫌いな相手であっても、誰かにとってはかけがえのない命であるということに気づくことができます。

また、日本人の中には若者を中心に、自分のことが嫌いという人が多いですが、好きや嫌いという感情を通り越したところに、私達の命は存在している。これが、「天命」というものでもありますから、いくら自分のことが嫌いであっても、先祖から見ればあなたの命もかけがえのない命であるということです。
今、存在しているということは、そういうことなのです。このことを自覚することが「天命」を知ることでもあり、また知った上で生きる人生が本当の「カミの道」だと私は考えています。



~ 暮らしの手帖別冊 2016年3月発行より引用 ~


~ 雑誌「婦女界」 昭和8年9月号より引用 ~


~ 雑誌「婦女界」 昭和9年9月号より引用 ~


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