授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

先祖のこと④

インターネットのおかげで、誰もが時代や国を超えてあらゆる情報に辿り着くことができるようになり、また埋もれていた情報が掘り起こされる時代になりました。これまでの教育現場では、どれだけ情報を『暗記』できるかということが問われてきましたが、今後は『膨大な情報から自身はどの情報を掴むのか』つまり取捨選択する能力の育成、または『それらの情報を整理し、どのように使っていくのか』つまり情報活用能力の育成がますます必要になってくると感じます。

インプット、つまり暗記は誰がしても内容は同じですが(暗記できる量は人それぞれでしょうけれど)、アウトプット、つまり「表現やその知識」をどのように使っていくかというのは、個々それぞれで良いわけですから、ある意味オリジナリティーを思う存分発揮しても良い時代に入ったということなのだと思います。しかし、本来人間はそのように生きるのが自然であり、本来の姿へ「原点回帰」するべき時が来ただけだと私は認識しております。


先日までのブログでは曾祖父のことについて書いてきましたが、曾祖父の情報を知ることで曾祖父に纏わる人間関係も明らかになりました。
ある一冊の本から、「曾祖父の兄」についての記述を見つけ、それから端を発して非常に多くの情報に辿り着くことができました。その道すがらの中で、曾祖父とともに、今後、私の人生を共に歩いて頂く方なのだと確信するようになりましたので記録しておきたいと思います。

私の手元に『山水随縁記』(徳富学人著 平福百穂画)という一冊の本があります。徳富学人とは、まさに徳富蘇峰のことで、大正2年の夏に蘇峰が旅先で書いた随筆をまとめた本です。大正2年とは、約110年以上も前のことですが、このような調査を続けているとまだまだ近い過去のようにも思えます。

徳富蘇峰に関しては、戦後名前が埋もれてしまいましたが、教科書にも必ず出てくるので周知のことだと思います。明治・大正・昭和と時代をまたにかけ、あらゆる業績を残しているため、一言で人物像を説明するのは難しいですが、ギネスブックにも「もっとも多才な作家」として名前も残しています。明治や大正時代の若者は、当時100万部のベストセラーを叩き出す蘇峰の文章を読んで、多大なる影響を受けました。

1890年(明治23年)27歳で国民新聞社を立ち上げますが、曾祖父の兄も蘇峰の本を読み、学生時代に東京へ出てきて蘇峰に弟子入りをし、卒業後は国民新聞社に入社することになります。

続きます。

 

~ 徳富蘇峰記念館所蔵 名刺のコピー ~