授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

天職をどう考えるか②

 

前回のブログの続きです。鑑定をする上で私は「天職」についてどう考えているか、もう少し書いていきたいと思います。世の中の風潮として「天職」とは、何か特別なもの、ワクワクして行うものと解釈されることが多いと書きました。

そして、それを探し求めて生きている人も多いです。転職を何度も繰り返したり、たくさんの資格を取っている人の中には「天職」を探しいている人もたくさんいると思います。一度きりの人生ですから、それを探すために行動したり勉強したりすることは悪くないですし、その経験が後に生きることも充分にあるはずです。

探し方のハウツーに関する本や情報は世の中に多く存在していますから、そちらに譲り今回はそれとは違った観点から「天職」について書きたいと思います。

基本的に私は「今」、自分に与えられている仕事や、役割が「天職」だと考えています。例えば専業主婦や子育てをしていて、家事を中心にしないといけないのであればそれが「天職」です。またリストラに遭って現在職を探しているのであればそれが「天職」です。また病気で現在入院していて静養中だということであれば身体を休めることがその人の「天職」です。縁のある会社に入ったのであればそこで働くことが「天職」です。まず、「今」与えられている場所や環境で与えられた役目を全うすることが「天職」だと私は考えています。

もし、そこにいることが自身にとって違う場合や、他にどうしてもしなければならないことがある場合は、辞めざるを得ない方向に事が進んだり、体調を崩したりして方向転換を迫られることになります。

例えば自分の好きな仕事をしていたが、どうしても家業を継がないといけなくなったとか、夫の転勤に合わせてどうしても仕事を辞めないといけなくなったとか、公務員をしていたけれども、身体を壊した時に出会った人との縁によって、新たに調理師の資格を取りカフェを経営することになった、などという話は少なくありません。

「天職」というのは「天から与えられた仕事」ですから、オーバーに言うと「天命」、つまり天からの命令と同じです。やりたいことではなく、やらなければならないことですね。ですから楽しい・ワクワクという人間の感情がどうなのかよりかは、必要に迫られて辿り着いたもの、面白い・面白くない関わらずどうしても辞められないもの、もしくは、何か突き動かされて夢中になってやってしまうものなど、人間の感情以上のものがあると私は考えています。

そしてもう一つ、「職」という意味の解釈が「仕事」だけに限られてしまっていること
が現代人の悩みを増やす要因になっているのではないかと私は常に感じてきました。

県立高校で教師をしていた(10年くらい前の話です)時に、ある女子生徒から以下のような相談を受けたことがあります。

「自分は将来の仕事や大学のことよりも、お嫁さんになって子どもを育てることが小さいときからしたいことなのに、周りの先生や親にそんなことを言うと、もっときちんと自分の将来のことについて考えなさいと言われてそれが本当に嫌なんです。たまたま中学校の成績が良かったから進学校に入っただけなのに、どうしても大学に行かないといけないとか、主婦や子育てがダメみたいな言い方をされないといけないんでしょうか。」

以上の女生徒の指摘は、反抗でもなんでもなく、至極真っ当な主張だと感じました。そしてまた、大人に対する問題提起と、学校教育での「学歴」や「学問」の捉え方が非常に狭いことに対する反論でもあります。

紫微斗数でも來因宮が子女宮の方は特に、そして子女宮に生年四化がある方も、子どもを育てたいと仰る方が多いです。また仕事を選ぶ時も、子どものことに関する仕事や(例えば教師や保育士)、自分の好き嫌いよりも子育てを優先に考えながら仕事を選ぶ傾向があります。
また、自分の意志はどうか分かりませんが、結婚して子どもを授かれば知らず知らずのうちにお子様中心の生活になっているのが來因宮子女宮の人の人生の傾向です。來因宮田宅宮の方も同じことが言えます。(ただ田宅宮の場合は子どものことだけには限りませんが。)

先ほど例に出した女生徒ももしかしたら何か命盤に以上のような傾向があったのだと思いますが、そんな命盤の持ち主にキャリアや自立の大切さを延々と訴えてもピンとこないのは当たり前です。「子どもを産んで育てたい」という突き動かされているものがあるのであれば、それがこの方の与えられた一つの「天職」なのだと私は考えます。何も「お金を稼ぐための仕事」である必要はないのです。

 

大体ここで、普通の良識ある大人であれば
「そんなこと言っても、もし将来子どもが授からなかったらどうするんだ。結婚できなかった場合、何か技術や学歴をつけておいた方が良いに決まってる。せっかく進学校に入ったのに何を考えているんだ」とこの女子生徒を説得することでしょう。

この女生徒にとって勉強や進学というのは、「自立」するためのものではなく、「子どもにとって良い親になる、もしくは良い主婦になる」ためのものであっても良いはずなのです。

來因宮が子女宮の方や、子女宮に生年四化がある方は、子どものことを考えたり(実子でも、実子でなくてもかまいません)、子育てしたりする中で自分の生まれてきた目的を果たすわけです。一律の価値観に無理矢理おしこめるのではなく、個々の課題(=果たし)に応じて話をするならば、この女子生徒も納得して学ぶでしょうし、例え将来何かのきっかけで結婚しないという選択をしたとしても、それはその時で自分の人生を引き受けながら、学んだことや経験を生かすことができると私は感じます。

将来の保険や自身のキャリアアップのためにと色々学んだり、資格を取ったりする生き方が合っている人もいますが(來因宮と生年四化を見て、ご本人様とお話すれば大体分かります。)先ほどの女生徒のような人もいます。その人の生まれ持ってきた特徴や傾向がさまざまであるのに、一つの価値観に無理矢理乗せるのはとっくの昔に限界が来ているのですが、まだまだその価値観にしがみついて離れられずもがいている人も多いように思います。

そして親子であっても、それぞれの傾向は全く違うので(もちろん似ている場合もありますが)、やはり自身はどういう傾向を持っているのか、人生においてどういうことを果たしていくべきなのか知っておく必要があると感じます。