授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

和歌の話② ~「平家物語」1~


前回の和歌の話についてのブログは、古今伝授の里についてでした。
引き続き紫微斗数の話と絡めつつ、文学や和歌の話を少し書きます。

人間は生まれてから高校生ぐらいの時までに読んだ文章や聴いた音楽、または大人が発する一言一言が、以降の人生に大きな影響を与えるように私は思います。大人よりも、非常に瑞々しい感性でスポンジの如く吸収しますから良いものも悪いものも心に深く入りやすいのでしょう。子どもさんや、若い方は1日の中に少しでも、SNSや、流れっぱなしの情報から身を遠ざけて、できるだけ美しい音楽や文章に触れる時間を作って頂ければと思います。

現代は映像文化が発達しており、lineなどでメッセージも早く伝わるので、それも悪くはないのですが、刺激が強いのとスピードが速いのでじっくり感じたり吸収する「間(ま)」が少ないという特徴があります。情報は多いのに、自身の中に沁み込んでいかず流れていってしまう感じと書けば何となく伝わりますでしょうか。現代社会において心が疲弊している人が多いのはそれも起因していると思います。

想像力を養ったり、また考える力を養うためには、実際に足を運んで自然や建築物に触れ、現地の人や空気と触れ合ったり、それが実現できなければ、文章を読んだり絵を見たりすることが良いように思います。
我々大人も同じく、日常生活の中で努力して「間(ま)」を取ることが必要な時代に入っていると感じます。

少し余談ですが、特に今のお子様や若者は反応は薄くて何を考えているか分からない、と訴える親御さんや先生方は多いですが、外に反応に出さないから何も感じていないというわけではありません。命盤がすっきりしていて(破格・自化・向心力が少ない)、我宮に生年BDがない人は特にそのような特徴を持っているように感じます。何となくの私の感覚なので、勉強されている方は色々な命盤と実際の人となりを観察して、悟って頂ければと思います。

さて、本題に入ります。皆様も中学校の時に、『平家物語』の冒頭部分を習われたことがあると思います。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

簡潔かつ文学的に人生を表現したこの冒頭箇所は、じっくり声に出して読むと身震いするぐらいの名文だと感じます。続きがまだあるのですが、とりあえず中学校ではここまでを扱うことが多いように思います。

自身も中学生の時に、この冒頭部分と「能登殿の最期」(義経の八艘飛びの場面)を学んだことはよく覚えています。授業を担当して下さっていたのは、ベテランの女性の先生で、能登殿の最期の場面を説明するときに涙まで流していたのを記憶しています。ここまで本気で授業(=仕事)をされる大人に出会えたことは、今思えば私の財産だと思います。

特に記憶にあつい以下の文章

新中納言、使者を立てて、
「能登殿、いたう罪な作り給ひそ。さりとてよき敵か。」
とのたまひければ、
「さては大将軍に組めごさんなれ。」と心得て、
打ち物茎短(くきみじか)に取つて、源氏の舟に乗り移り、乗り移り、をめき叫んで攻め戦ふ。

に関して先生から習った解釈を続きのブログに書きます。