授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

子どもや孫に何を残すか②


前回のブログ、子どもや孫に何を残すかの続きです。

『ホツマツタヱ』の一部を再掲します。

 

 

この記述は『ホツマツタヱ』2アヤの冒頭の一部です。

大意を記しておきます。

・・・アマテルカミは次のように仰られました。
「遠い遠い昔は、まだ天地の区別もなく、全てが混沌としていた。その混沌としている中にもやがて分かれていこうとする兆しが出てきた。一切をつくられたアメノミヲヤの一息から軽いもの(ヲ)と重たいもの(メ)に分かれて、天の御柱を巡りだす。軽いものは天空となり、太陽を生じた。また重たいものは大地となり、月を生じた。私たちの人類の第一号である先祖、つまりアメノミナカヌシが表れて地球の環境を整えられた。そして、そのカミはクニトコタチに生まれ変わり、トコヨ国(日本の古い名称)が建国されたのだ。。。」

お読みになりいかがでしょうか。以上のことが科学的に正しいのか、または検証できるのか云々はその方面の専門家でない私には分かりません。しかし、古来(限りなく少なく見積もっても2000年以上前)の日本人は、宇宙開闢(ビッグバン)を以上のように捉え、表現したということは文献が残っているため証明できるのです。
ちなみに『ホツマツタヱ』は偽書であると一般的には定説になっていますが、一度『ホツマツタヱ』の一文を声にだして読んでみてください。分かる方には絶対に真偽が分かるはずです。

美しい音楽を聴いたり、人智をはるかに超える自然現象を見た時、または誰かからの温かい一言や文章に触れた時、感動し、心が震える経験をお持ちのかたがほとんどでしょう。心が震えるというのは、「これは真実である!!」と確信した時に生じる魂の働きの発露であると私は考えています。

ちなみに偽物と出会っても心は震えません。どこか違和感があったり、何度か触れていたら気分が悪くなったり、特に敏感な感性をお持ちの方は、それがすぐに分かると思います。
ですから『ホツマツタヱ』に関しても、科学的に正しいか否か、または現代の常識に照らし合わせて正しいか否かを判断するのではなく、とにかく分かる人には分かるので一度触れて頂き、真偽を自身に問うて頂きたいという思いで常々おります。

さてここからが本題です。なぜ、今『ホツマツタヱ』を明らかにせねばならないのか。歴史や研究が好き・嫌い、得意・不得意という次元で『ホツマツタヱ』を語るべきではないと私は考えています。

例えば、皆さんの眼の前で小さな子どもがこけたとしましょう。ほとんどの人はその子どもに駆け寄るか、言葉をかけるか何かのアプローチをするはずです。子どもが好きだから助ける、子どもが嫌いだから助けないなどといった判断はされないと思います。
良心のある人間であれば必ず自然に、そして無条件に行動するものではないでしょうか。困っている人を助けるという利他の精神は、元々人間に備えられている性質であるから、好き嫌いの感情や条件は関係ないのです。

『ホツマツタヱ』を学ぶことは、以上のことに似ていると私は考えています。

人間として生まれてきたのであれば、宇宙自然の法則を学ぶことや、自分の先祖のことを知ること、歴史を正しく学ぶことは好き嫌いの感情や得手・不得手ではなく、自然に、そして無条件に知りたくなるもの、学びたくなるものである

これは長年教育という仕事に携わってきた経験から自信を持って私が言えることです。本来、そういうものを学びたい、知りたいと思って人間は生まれてくるのです。それが人間性であると私は考えています。しかし残念ながら、今の教育システムの中では以上のようなものはどうだってよい。競争、成果、評価が伴ってきますから、特に学校という場所で学ぶ時には、条件(例えばテストのため、入試のため)や好き嫌いの感情が伴ってしまうのです。

せっかく瑞々しい感性を持っている若い時にそれでは勿体ない。本来の道に戻してあげるのは、我々大人の責任であると私は考えるのです。ですからまずは大人の方に「真に学ぶ」という経験をして頂き、それを子どもに、そして孫に伝えていく。結婚している、していない。子どもがいるいない、そんなのは関係ありません。次世代に教えを残し、繋いでいくというのは、先に生まれた者の責任であるということです。(完)

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