授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

ことばと道② ~ 子育て、人間関係、教育、全てに通じること ~


前回のブログ
の続きです。

言葉や文字は天から与えられたので、縦書きが鉄則である

ということを書きました。
では、天がどのような手順で、どのような方法で言葉や文字を与えたのか科学的に(実験や検証をして)証明しろという話になると思うのですが、『ホツマツタヱ』やヲシテ文献にそう書いてあるので「そうだ」としか私は言えません。

科学的に証明できるできないは横に置いといたとしても

古代日本人が言葉や文字をそのように(=天から与えられたものである)捉えていた

ということは『ホツマツタヱ』によって証明できます。読めば書いてあることですから絶対に真実であり、嘘だとは言えない、私はそう確信しているのです。

さて、前のブログの冒頭に、作文・文章指導のことを書きました。

文章を書く、もしくは「会話」というのは、「道」を歩くこととよく似ていると私は考えています。特に会話や文章を書くことが苦手な方はお読み頂けると幸いです。

子どもたちに教える際には、もっとかみ砕いて伝えますが、今回はザックリ三点。
分かりやすい文章は以下の3点が揃っています。

①立場や賛否がはっきりしている(結論の提示)
②論理の一貫性(話がアチコチせず筋道が通っている)
③客観性(誰が読んでも納得できる分かりやすい説明)

①②③以上に自身の胸の中に、話したいこと、書きたい内容を持っているのが前提であるということは言うまでもありませんから、実際の指導ではそれも手引きする必要もあります。ちなみに内容以前に、誤字脱字や文法のことばかりを先に指摘する先生や大人の方がみえますが、一番のNG行為だと私は考えています。書こうと思う子どものやる気や、書いた後の達成感を根こそぎ持っていく行為だと私は感じるからです。

さて、なぜ会話や文章を書くことと「道」を歩くことが同じかというと、自分の意見を相手に分かりやすく説明する、つまり相手に心を沿わしていく作業であるからです。お互いにそれを行わないと成立しません。

先ほど書いた①②③のことが踏まえられていない文章や会話は一体どんなものでしょうか。。。もうしばらく続きます。