授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

ことばと道①


現在私は何が本業なのか少し分からない状態になっているのですが、20年近くずっと続けてきている仕事があります。それが子どもや若い方に文章表現を教えることです。現在も、ある学校で20歳前後の若い方対象に、また小中学生対象に作文指導を行っています。

現代は文章を書く必要性がどんどんなくなり、また系統だった文章を読む機会も少なくなってきています。lineなどのSNSも絵文字や、写真で済むことが多く、例え言葉があっても数十文字のやり取りが多いです。「長すぎると読むのも面倒だからとにかく短くしてくれ!」というのが世の中のニーズなのではないでしょうか。SNSの発展とともに、この20年だけでも言葉に、そして人間関係に大きな変化が出てきたと実感します。

さて、先日ある方からお手紙を頂戴しました。非常に丁寧な縦書きの字で、しかもかなりの分量になったとのことで便箋を一枚一枚糊付けをして巻物のようにしてくださり、郵送で送ってくださいました。そのお手紙を頂戴したのはまだ夏の暑い最中でしたが、それから何度も出してきては拝読しています。近況報告から始まり、最近の心境や、また私の活動に対しての励ましのお言葉など、本当に心温まる文章で埋め尽くされていました。その方の「地道」な性格や人となり、またこれらを書くためにかけて下さった時間、そういう背景までが伝わってきて、胸が熱くなりました。

日本人の良いところを簡潔にあげてくださいと言われたら、私はなんといっても「地道なところ」だと考えています。私自身はあまり地道ではなく、ざくっと適当なところがあるため、このようなお手紙を頂戴すると、こうでありたい、見習いたいなと心から思います。

さて、手紙や文章を書くということは非常に「地道さ」を必要とします。まず、一人で行う作業であるということ。そして、相手がいることですから、相手が理解できるように書かないといけない。これも誰かに相談するのではなく、自分でメモをして書いて、校正し、再読してと一人で行う作業を伴います。ですから、非常に「地道さ」を必要とするのです。いくら長い文章でも「地道」に書かれた文章は、話がアチコチせず、必ずすっきりと一貫しています。一本筋が通ってるからこそ「地道」と呼べるのです。

SNSを批判するつもりはありませんが、地道な人ほどSNSが苦手だというのは、当然だと私は考えます。あんなに、大量の情報を毎日毎日ポンポン左から右へ流していくなど、本来、日本人は得意ではありません。

日本人は「トノオシエ」、つまり学問で建国されてきた国ですから、常に文字や文章を大切に扱い、それらと共に生きてきました。ですから、言葉の乱れは国家の乱れに繋がると考えられてきたのです。そんなDNAがきちんと根付いている人ほど、SNSでのやり取りにはうんざりしているはずです。

少し余談です。『ホツマツタヱ』や平安時代の文章に触れると分かりますが、古来から日本人は縦書きが鉄則で、近年で言うと戦前まではそうでした。どうしても横書きにするときは、右から左に書いていました。現在、かの紫式部や清少納言が生きていたら「えええ!!?なんだこれは?」と驚くのではないでしょうか。

ちなみに、大分昔のことになりますが、皆さんは以下のような看板を見かけたことはありますでしょうか?
例えば
「くすり」➡「りすく」
「にんじん」➡「んじんに」

これは右から左へ書いていく縦書きの名残です。
さて、言葉はなぜ縦書きであるのか。。。それには以下の大きな理由があると私は考えています。

それは、言葉は天が作ったものであり、また天から降ろされたものだからです。
天から降りてくるものであれば必ず、上から降りてきます。左から右へ流れてくるものでは決してありません。今書いているブログも、ワープロもSNSも全て横書き仕様になっていますが、私の講座を受講し、著書を読んで下さる方は、どこか違和感や危機感を抱いて下さっていると思います。言葉の大切さを理解すると、何故か不思議と縦書きで書きたくなったり、縦書きが感じたりするもので、そんなことを最近私は感じました。
若い方、子どもたちにもそういうことも含めて教えていけたら、教育の質もぐっと深くなるのではないかなと思います。

次へ続きます。