ことばと道③ ~人間関係が壊れていると・・・~
前回のブログでは分かりやすい文章や会話がどんなものであるかについて書きました。
以下の三点がその条件でした。
①立場や賛否がはっきりしている(結論の提示)
②論理の一貫性(話がアチコチせず筋道が通っている)
③客観性(誰が読んでも、聴いても納得できる分かりやすい説明)
逆に①②③が踏まえられていない文章や会話がどんなものなのかについていくつか挙げてみます。
・話す内容を思い付きでコロコロ変える
・人の話を聴いてないので建設的な会話になっていない(一貫性がない)
・自分が言いっぱなし(主観的)
・批判的(共感性がない)
・必要以上に(場にふさわしくないほどの)大きな声、小さな声で話す
・スマホを触りながら、または何かよそ事をしながら人の話を聞く・・・ETC
以上のようなことがあると相手とのやり取りは一気に崩壊します。そしてこういう場面に出くわすと非常に疲れます。特に繊細な方(HSPと言われる方)、また現在精神的に不安定な方は、もう体がしんどくて、この場から去りたいという気持ちになるかもしれません。そのセンサーは非常に正しいです。
以上の場面はそれだけ人間にとって不自然な状況なのだということです。そういうセンサーが働く人は、
・ある程度人を選んで付き合う
・どうしても無理な場合は一端その場を立ち去る勇気を持つ
(仕事ではどうしても仕方ないかもしれませんが、
プライベートであれば無理する必要はありません)
・一人の時間を心地よく過ごす
・合う人との時間を大切に過ごす
など、自身を守ることも大切だと感じます。(もちろん、自身がきちんと踏まえた上でということは言うまでもありません。)
ちなみに、恋人でも夫婦でも友人でも親子でも、関係が崩れているときはまず、「会話」が成立しません。発する方も受ける方も、各々がバラバラになっていますから、当然心を通い合わすことは難しいです。逆に心が通い合っていないから、会話が成立しないとも言えます。どのみち、関係が成立していないわけです。
喧嘩でも噛み合っている喧嘩と(お互い何とかしようと思う気持ちが熱くなって起こる喧嘩)、そうでない喧嘩(お互いのわがままな感情のぶつけ合いや、既に関係性が崩れていて冷たい感情のぶつけ合い)がありますが、前者の喧嘩は一度火がついても元サヤに収まります。後者は、いくら喧嘩をしても心が通い合っていないので回復は難しい。
以上のように、言葉のやり取りで二人の関係が現在どのような状態にあるかがある程度分かってしまうのです。(どちらかが、障がいをお持ちの場合は話が違うため、またの機会に)
現代はSNSの発展により、ただでさえも会話のやりとりが難しくなっています。特にSNSのやり取りで起こりやすいことは
・自分の言いたいことだけを書く
・内容を吟味せずにすぐに送ってしまう、
・内容よりも、スピードや情報量が優先
・目の前に大切な人、時間が存在しているのに、
SNSで繋がっている相手を気にして「今ここ」に集中できない。
仕事の効率という点では恩恵もありますが、SNSの発展で崩れてしまったものもたくさんあるのではないでしょうか。
「会話・言葉の崩壊は、人間関係の崩壊、しいては道の崩壊につながる」古来日本人が危惧していたことが現実化となっている、私はそう感じるため、あらゆる方法、角度でお話したいと感じています。
特に子育てや教育に携わっている方は、今、一番「言葉の教育」がしにくくなっているということを自覚されておくと良いと私は思います。社会の現状はすぐに変えられるものではありませんが、その自覚がある大人が存在するだけでも、子どもの救いになるのではないかと考えるからです。
またこのブログに書いた詳しい内容に関しては、通信講座(あめなるみち~次世代へ繋げていきたい大切なこと~)の方でもお話していきたいと思います。ぜひ、教育に携わる方、子育て中の親御さん、また親子関係で悩まれているかた、何かのヒントになれば幸いです。