授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

全ての事件に共通すること 


時事問題について書くことはあまりないのですが、昔、大学入試の小論文指導をしていたときには、時事問題を取り上げて話し合いをしたり、意見を書いてもらうということをよくしていました。大人が考える以上に、素晴らしい意見を持っているなと感心したことが幾度となくあります。
「子どもの感性に任せた方が、世の中は、そして地球はうまく回る」
私が辿り着いた境地です。

しかし、今、世の中で起こってきている様々な問題は、考える余地もなく一目瞭然おかしなことばかりですから、教材にもならないと感じます。
さて、今テレビをにぎわせている様々な問題に関して、皆様はどのように考えられますか。

人間の業が噴出してきている状況だと私は考えているのですが、一つ言えることはどれもこれも他人事ではなく、一人一人の生き方に関わってきている問題であるということです。

当事者や、当事者に近いところで関わる方であれば、嫌でも直面せざるを得ないのですが、どこか遠いところで起こっている事件だと感じるのは殆どの方の率直な感想でしょう。これがもし、被害者や加害者が身内にいるとなると、あっという間に当事者としてこれらの問題と向き合うことになります。人間というのは不思議な生き物で、当事者にならない限りは、自分事として考えることができません。そんなことをしているから、延々と同じ問題を繰り返すのだと私は感じます。

一つの場所で起こるということは、つまりはどこでも起こり得ることであるし、自身も同じような因子を持っているかもしれない、これが法則であり道理です。紫微斗数を学ぶと、そのあたりは嫌というほど分かります。
ですから、少し遠いところに存在する人も「知らなかった」「そんなの当事者同士で勝手にしろ」では済まされないと私は考えるのです。

色々起こってきている事件で大きな問題というのが、見て見ぬふりをしてきた者の態度であると私は思います。
先ほど書いたように当事者(被害者・加害者・極めて近くにいた者)は因果の法則に基づいて、必ずその問題と向き合わざるを得なくなりますから、自ずと問題が露見し、因果の解消に迫られることになります。

では少し遠いところにいる人についてはどうなのか。例えば、以下の立場の方。

・スポンサー、取引先、関係企業
→つまり利害関係が発生するため知らないふりをするのが都合が良い

・ファンや商品の利用者 
→自分の趣味や快楽、利便性を重視したいので、見て見ないふりをした

当事者の人口と、以上の人たちの人口は明らかに後者の方が多いです。後者の人たちがどうこの問題を捉えるかで今後の行先が大きく変わると私は考えるのです。

ちなみに紫微斗数(因果の法則)の観点から書くと、後者の行為も一つの業を積んだことになります。つまり「知っていたけれども知らないふりをした」という業です。何もしていないのだから何でそれが悪いのだと思われるかもしれませんが、そんな単純なものではなく、「知っていたのに、見ていたのに何もしなかった」という行為を行ったということですから、その業もきちんと魂に刻印されてしまうのです。ですから、自分は一体どのような生き方をするのか、何を考え何を選ぶべきなのかが大切なのだと私は感じます。

ファンを辞めろとか、商品を使うなと極端なことを言っているわけではありません。それでも自分の生活に不可欠なものであれば、商品を使えばよいし、心から応援したい人であれば周りがどうであれ応援してあげればよい。
自分の好き嫌いという感情も分からず、何となくの雰囲気で、また時代の流れがそうだからとか、大多数がそう言っているから、仲間外れされるのが嫌だからという理由で行動するのを辞めない限りは、解決しない問題であると私は思いました。ましてや自身の利益になるから嫌なことには目をつぶろうという思惑があったとしたら、もっとひどい業を積むことになります。
もし自分の代でそれらが解消できなければ、子どもや孫がそれを負うことになります。本当にそんな生き方で良いのでしょうか。負の遺産を次の世代に残す愚かな生物が人間であっていいのか。私は問い続けたいと思います。