授かりし命をつなぐ道

紫微斗数鑑定をしながら、ヲシテ文献や大自然の法則について研究しています

紫微斗数とは何か⑥「福徳宮」について その2

前回のブログでは、「福徳宮」についての内容から、これからの時代私たちは一体どのように生きていけば良いのかという問題提起について書かせて頂きました。一見関係なさそうに見えますが、非常に「福徳宮」と関係する部分でもあるのです。


物事は全て、大自然の法則に基づいて動いていきます。どういうことか簡単に書きますと、行き過ぎたところは削がれ、足らないところは補いながらちょうど良い状態=本来の自然の形になるということです。古の人は、これを「中庸」「道」などと名付けました。

これまで経済成長を掲げてきた日本は、物質世界に重きを置き、逆に、見えない部分、精神性は置いてきぼりにしてきた傾向があります。とにかく生活のため、お金のため、自分の欲しいものを買うため、資格や学歴のためと脇目も降らずに頑張ってはきたものの、何か大切なものを忘れているのではないかとふと立ち止まっている人は少なくはないでしょう。または、本当は限界を迎えていることが分かっているのに、そこから目を背けて何か他のことで紛らわしたり、時には薬などを飲みながら何とかしがみついてきたという人もいるのが現代という時代です。

例え、自身は感じていなくても家族の誰かが(例えば子どもやお年寄り)訴えてきているという場合もあるかもしれません。大体、そういうことは家族の中でも弱い立場の人に出ることが多いからです。私はうつ病や、不登校、引きこもりなどの社会問題も実は、行き過ぎたところは削がれ、足らないところは補いながらちょうど良い状態になるために出てきている作用だと感じています。

もう少しこれについては書きたいので続きます。